そのテレビには、1人のアメリカ人のおじいさんが出てきました。その人、ジョージさんは昔海兵さんでカメラマンをしていたそうです。そして、戦争が終わった1945年9月の終わり、長崎県に来ました。そこで、いろんな写真を撮ったそうです。
その中の1枚に、男の子の写真がありました。私も見たことがある写真…昔、英語の教科書に載っていた写真でした。10歳ぐらいの裸足の男の子で、背中にはもう亡くなっている弟を背負っています。背筋をまっすぐに伸ばし、気をつけをして、そして唇を噛み締め、何かにじっと耐えているような表情の写真です。
ジョージさんはその少年が今どうしているのか、日本に探しに来たそうです。そこで、いろいろな人たちといろいろな話をします。もちろん、男の子の写真だけでなく、いろんな写真に縁のある場所に行っていました。
結局その男の子についてはわからなかったけど、それでも日本に来て良かったと言っていました。
アメリカに帰ったジョージさんは、アメリカで写真展を開きました。原爆で被害を受けた長崎のいろいろな写真の。
…しかし、残念ながらジョージさんは亡くなったそうです。去年の…8月9日に。
私は、昔から歴史が好きだったんです。それも、戦争の時代の。私の両親もそれを理解してくれて、いろいろな本を読ませてくれました。いろいろな博物館や資料館に連れて行ってくれました。私は、小さい頃から漠然としていたものの、何か戦争を伝えて行く仕事に就きたいと思っていました。
でも、周りの皆は違っていて、戦争の話を聞いたりすると、「恐くて、暗いから嫌いだ」と言います。「もう昔のことだから、私達には関係な」と言います。それも、仕方ないことだとは思うんですが、それではいけないと私は思うのです。
1番のきっかけになったのは、いつだったかに聞いたニュース。広島に住んでいる小学生に、広島に原爆が落とされたのはいつか質問してみたそうです。その小学生は一言、
「そんなの、知らないよ」
と、言っていました。
これを聞いて、情けなく思いました。悲しくなりました。こんなことじゃいけない、と思いました。
だから私は、将来学芸員になろうと決意しました。
しかし正直なところ、学芸員の資格は誰でも簡単に取れるし、就職口も少ないし、もしかしたら博物館で働けない、普通の会社で働くような大人になってしまうかもしれません。それでも、広島の平和資料館で働きたいと思うようになりました。東京でも勉強はできる、けどその場で、勉強したいと思うようになりました。
いろんな人に、忘れてはいけないことなんだよと伝えたいと思いました。
善人ぶっているように聞こえるかもしれません。なにせ私は、昭和生まれですらありません。平成生まれの、若者です。もちろん、戦争を経験した訳ではありません。それでも、私にできることがあるんじゃないかと思うのです。
こんなに長ったらしくて分かりづらい文章をいったいどれだけの人が読んでくれたのかはわかりませんが、読んでくれた人には是非1度、考えてもらいたいんです。
戦争について。
忘れちゃいけないことです。
伝えなくちゃいけないことなんです。
私達がやらなきゃ、誰がやるんでしょう。
…私は、そのためにも絶対大学に受かりたいと思います。浪人でもかまわない、自分が本当に学びたいことを学ぶため、勉強頑張ります。
読みにくい文章ですみませんでした。それでは。
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